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遺族としてマスク着用をどう案内するか
ご遺族として葬儀を主催する際、参列者の方々に、マスクの着用をどのようにお願いすれば良いのかは、非常にデリケートで、悩ましい問題です。強制するような印象を与えたくはないけれど、高齢の親族も多いため、できるだけ安全な環境でお見送りをしたい。その想いを、角を立てずに、スマートに伝えるための方法を考えてみましょう。まず、最も穏やかで、一般的な方法が、受付や会場の入り口に、案内板を設置することです。「皆様へのお願い」といった表題で、「本日のご参列に際し、マスクの着用は個人のご判断にお任せいたします。しかしながら、会場内には高齢の方や基礎疾患をお持ちの方もいらっしゃいますので、ご配慮いただけますと幸いです」といった、柔らかい表現で協力を促すのが良いでしょう。あくまで「お願い」というスタンスを貫き、判断を相手に委ねる形にすることで、心理的な抵抗感を和らげることができます。また、アルコール消毒液を、案内板の横に設置しておくことも、無言のメッセージとして有効です。「感染対策にご協力ください」という姿勢を示すことができます。もし、もう少し踏み込んで着用をお願いしたい場合は、案内状や、葬儀の案内の連絡をする際に、事前に一言添えておく、という方法もあります。「誠に恐れ入りますが、当日は、高齢の親族もおりますため、会場内ではマスクの着用にご協力いただけますよう、お願い申し上げます」。このように、明確な理由(高齢の親族がいるため)を添えることで、相手も納得しやすくなります。当日の受付で、マスクを持っていない方のために、予備のマスクをいくつか用意しておくのも、非常に親切な対応です。受付係の方から、「もしよろしければ、お使いください」と、そっと手渡すことで、相手に恥ずかしい思いをさせることなく、着用を促すことができます。大切なのは、マスクの着用を、厳格な「ルール」として押し付けるのではなく、参列者一人ひとりの「思いやり」に訴えかける、という姿勢です。ご遺族の、その謙虚で誠実な態度が、会場全体に、互いを気遣う温かい雰囲気を作り出し、結果として、故人を心静かに見送るための、最も安全で、安心な空間を創り上げることにつながるのです。
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火葬までの日数とドライアイスの関係
ご家族が亡くなられてから、火葬・葬儀を行うまでの日数、すなわち「安置期間」は、ドライアイスの使用量や費用に直接的な影響を与える、非常に重要な要素です。この安置期間が、なぜ変動するのか、そしてそれがドライアイスの処置にどう関わってくるのかを理解しておきましょう。まず、日本の法律(墓地、埋葬等に関する法律)では、「死亡または死産後二十四時間を経過した後でなければ、火葬を行ってはならない」と定められています。これは、過去に仮死状態からの蘇生の可能性があったことなどから、死亡確認の確実性を期すために設けられたルールです。したがって、どんなに急いでも、最低一日はご遺体を安置する必要があります。しかし、現代の日本では、この最低限の日数で火葬まで進めるケースは、むしろ稀です。その最大の要因が、前述の通り「火葬場の混雑」です。特に、友引とその翌日、連休明け、年末年始などは予約が殺到し、亡くなられてから火葬まで数日間待つのが当たり前となっています。この「待機日数」が長くなればなるほど、ご遺体の状態を良好に保つために、より多くのドライアイスと、より頻繁な交換が必要になります。通常、葬儀社のスタッフは、一日に一度、ご自宅や安置施設を訪問し、昇華して減ってしまったドライアイスを新しいものと交換・追加します。しかし、夏場の気温が高い時期や、安置期間が五日、一週間と長期にわたる場合には、一日に二回訪問したり、一度に置くドライアイスの量を増やしたりといった、より手厚い処置が必要となることもあります。当然、それに伴ってドライアイスの費用も加算されていきます。また、長期間の安置では、ドライアイスによる冷却だけでは、お体の変化を完全に防ぐことが難しくなってくる場合もあります。特に、お顔の周りの変化を抑え、穏やかな表情を保つためには、冷却だけでなく、専門的な知識に基づいた適切な処置が求められます。このように、火葬までの日数は、ご遺族の希望だけでは決まらない、外的要因に大きく左右されるものです。そして、その日数が、故人様をお守りするためのドライアイスの処置内容と費用に、直接的に、そして密接に関わってくるという現実を、私たちは理解しておく必要があります。
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夏の葬儀でマスクは熱中症のリスク
葬儀におけるマスク着用は、感染症対策や、周囲への配慮として重要な役割を果たします。しかし、これが夏の季節となると、話は少し変わってきます。高温多湿の日本の夏において、屋外での活動を含む葬儀でのマスク着用は、「熱中症」という、命に関わる深刻なリスクを伴うことを、私たちは忘れてはなりません。夏の葬儀では、どのような場面で熱中症のリスクが高まり、どのように対策すれば良いのでしょうか。まず、最も注意が必要なのが、告別式の後の「出棺」と、火葬場での「待ち時間」です。これらの場面は、屋外、あるいは冷房の効きが十分でない場所で、喪服という熱がこもりやすい服装のまま、長時間過ごさなければならない可能性があります。マスクを着用していると、体内に熱がこもりやすくなるだけでなく、喉の渇きを感じにくくなるため、知らず知らずのうちに脱水症状が進行してしまう危険性があるのです。特に、高齢の参列者や、体調に不安のある方は、注意が必要です。対策としては、まず、ご遺族側が、参列者の健康を第一に考える姿勢を示すことが大切です。例えば、受付で冷たいおしぼりや、塩分補給ができるタブレット、小さなペットボトルの水などを配布する、といった配慮は、非常に喜ばれるでしょう。また、出棺の際などには、葬儀社のスタッフから「屋外では、熱中症のリスクがございますので、マスクは外していただいても結構です。周りの方と、十分な距離をお取りください」といったアナウンスをしてもらうのも、有効な方法です。参列者側も、自衛の意識を持つことが重要です。少しでも気分が悪い、めまいがすると感じたら、決して我慢せず、すぐに近くのスタッフに声をかけ、涼しい場所で休息を取るようにしましょう。葬儀という厳粛な場で、体調不良を訴えるのは申し訳ない、と感じるかもしれませんが、無理をして倒れてしまっては、かえってご遺族に大きな心配と迷惑をかけてしまいます。故人を悼む気持ちは、大切です。しかし、それ以上に、今を生きる私たち自身の命と健康が、何よりも優先されるべきである、ということを、忘れてはなりません。夏の葬儀では、マナーとしてのマスクと、健康を守るための判断を、賢く使い分ける柔軟性が求められるのです。
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マスク時代の弔意の伝え方
マスクの着用が、社会的なエチケットとして、半ば当たり前となった時代。私たちのコミュニケーションは、良くも悪くも、大きな変化を遂げました。特に、葬儀という、繊細で、非言語的なコミュニケーションが重要となる場において、マスクは、私たちの「弔意の伝え方」に、どのような影響を与えたのでしょうか。そして、私たちは、この新しい環境の中で、どのようにして、心からの弔いを表現すれば良いのでしょうか。マスクがもたらした最大の障壁は、「表情の喪失」です。私たちは、言葉だけでなく、口元の微かな動きや、頬の緩み、唇の形といった、表情筋の複雑な動きから、相手の感情を読み取り、共感してきました。しかし、マスクは、その最も重要な情報源を、覆い隠してしまいます。お悔やみの言葉を述べても、その言葉に込められた、悲しみや、いたわりの表情が、相手に十分に伝わらない。逆に、ご遺族の深い悲しみの表情を、私たちが正確に読み取ることも、難しくなりました。この「表情の壁」を乗り越えるために、私たちは、これまで以上に、他のコミュニケーション手段を、意識的に使う必要に迫られています。一つは、「声のトーンと話し方」です。マスクで声がこもることを前提に、いつもより少しだけ、ゆっくりと、そして明瞭に話す。言葉の抑揚に、より豊かな感情を乗せる。その意識が、言葉に温かみを与えます。二つ目は、「目の表情」です。マスクをしていても、目は、隠すことのできない「心の窓」です。相手の目を、真っ直ぐに、そして優しく見つめ、視線で「あなたの悲しみに、寄り添っています」というメッセージを送る。その真摯な眼差しは、どんな言葉よりも、雄弁に気持ちを伝えてくれます。そして、三つ目が「身体的な表現」、すなわち「所作」です。いつもよりも、深く、そしてゆっくりと頭を下げるお辞儀。胸の前で、心を込めて組む、合掌の形。これらの丁寧な身体言語は、マスクで失われた表情の情報を補い、あなたの敬意と弔意を、明確な形で示してくれます。マスクは、確かに、私たちのコミュニケーションに、もどかしい制約をもたらしました。しかし、私たちは、その制約の中で、どうすれば心を伝えられるかを、必死で模索してきました。その結果、私たちは、言葉や表情だけに頼らない、より深く、より本質的な、人と人との繋がり方を、再発見したのかもしれません。
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家族葬の場合返礼品は必要か
ごく近しい身内だけで故人を見送る「家族葬」。参列者が限られているこの形式の葬儀において、「返礼品は用意すべきなのだろうか」と悩むご遺族は少なくありません。結論から言えば、たとえ家族葬であっても、香典をいただいた場合には、そのお返しとして「返礼品(香典返し)」を用意するのが基本的なマナーです。家族葬は、あくまで葬儀の規模が小さいというだけであり、弔意を示してくださった方への感謝の気持ちを省略して良い、ということにはなりません。ただし、家族葬における返礼品の考え方は、一般葬とは少し異なる側面があります。家族葬では、事前に参列者に対して「ご香典ご供花は固くご辞退申し上げます」と、香典を辞退する旨を明確に伝えているケースが多くあります。この場合、参列者は香典を持参しないため、そのお返しである香典返し(返礼品)も、当然ながら用意する必要はありません。この形が、ご遺族と参列者、双方の負担を最も軽減できる、家族葬の理想的なスタイルと言えるかもしれません。しかし、たとえ香典を辞退する旨を伝えていても、「それでも、せめてこれだけは」と、故人への想いから香典を持ってきてくださる方もいらっしゃいます。そのような場合に備えて、念のため、少数の返礼品(香典返し)を予備として準備しておくと、非常にスマートな対応ができます。急な対応で慌てないためにも、三千円程度のカタログギフトなどを五つから十つほど用意しておくと安心です-。では、香典を辞退せずに、家族葬で香典を受け取る場合はどうでしょうか。この場合は、一般の葬儀と同様に、いただいた香典に対するお返しが必要です。参列者がごく少数で、いただく香典の額もある程度予測できるため、一人ひとりの顔を思い浮かべながら、後日、それぞれに合った品物を「後返し」で送るのも、非常に心のこもった丁寧な方法です。もちろん、一般葬と同じように、当日に「即日返し」として一律の品物をお渡ししても、全く問題ありません。家族葬における返礼品の要不要は、ご遺族が香典を受け取るかどうか、という点に尽きます。感謝の気持ちをどのように示すのが、自分たちの家族にとって最も誠実な形なのか。それを考えることが、返礼品の有無を決める上での、最も大切な指針となるのです。
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私が受け取った心に残る葬儀の返礼品
これまで、数多くの葬儀に参列してきましたが、そのほとんどでいただく返礼品は、お茶や海苔、あるいは定番のカタログギフトでした。もちろん、その一つ一つにご遺族の感謝の気持ちが込められていることは承知していますし、ありがたく頂戴してきました。しかし、たった一度だけ、私の心に深く、そして温かく刻まれている、忘れられない返礼品があります。それは、大学時代の恩師の葬儀でのことでした。先生は、無類の読書家で、古今東西の書物に通じた、知の巨人でした。その一方で、甘いものに目がなく、研究室にはいつも、奥様手作りのクッキーの瓶が置かれていました。私たち学生にも、「まあ、一休みして、これでも食べなさい」と、そのクッキーを振る舞ってくれるのが常でした。そんな先生の葬儀の帰り際に渡された返礼品の紙袋には、見慣れたお茶の箱と共に、一冊の小さな文庫本と、手作りのクッキーが数枚、可愛らしくラッピングされて入っていました。文庫本は、先生が生前、講義の中で「私の人生を変えた一冊だ」と、熱く語っていた小説でした。そして、クッキーに添えられた小さなカードには、奥様の優しい文字で、こう記されていました。「主人が愛した物語と、主人の好物でした。皆様の心の片隅に、主人の面影が少しでも長く留まりますように」。私は、その返礼品を持ち帰り、その夜、一枚一枚クッキーを味わいながら、先生の愛した物語を、一晩かけて読み耽りました。物語の言葉の端々から、まるで先生の肉声が聞こえてくるような、不思議な感覚に包まれました。あの返礼品は、単なる品物ではありませんでした。それは、先生の「知」と「優しさ」そのものであり、残された私たち教え子への、最後の講義でした。ご遺族は、きっと、数ある品物の中から、どれが一番先生らしく、そして先生の心が伝わるかを、心を込めて考えてくださったのでしょう。その深い愛情に、私は胸が熱くなりました。葬儀の返礼品は、必ずしも高価なものである必要はない。故人の人柄が偲ばれる、心からの「ありがとう」が伝わるものであれば、それは何物にも代えがたい、最高の贈り物になるのだと、私は先生の最後の講義から教わったのです。
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父が愛したジャズが流れた葬儀
父は、無口な人でした。そして、ジャズをこよなく愛する人でした。休日のリビングには、いつも、父がかけたジャズのレコードが、静かに流れていました。私には、その良さがよく分からず、「また、お父さんの難しい音楽が始まった」と、少しだけ煙たがっていたのを覚えています。その父が、昨年、長い闘病の末に亡くなりました。葬儀の打ち合わせの際、担当者の方から、BGMについて尋ねられた時、母と私は、顔を見合わせ、どちらからともなく、同じことを言いました。「父が好きだった、ジャズを流してください」。それは、私たち家族にとって、ごく自然な選択でした。言葉で愛情を表現するのが苦手だった父。その父が、唯一、心から愛し、その世界に没頭していたのが、ジャズだったからです。私たちは、父が遺した膨大なレコードコレクションの中から、特に好んで聴いていた、ビル・エヴァンスのピアノトリオのアルバムを選びました。通夜の日、斎場には、父の遺影と共に、愛用のオーディオセットと、レコードが飾られました。そして、参列者が集まり始めた会場に、ビル・エヴァンスの、あのリリカルで、少しだけ物悲しいピアノの旋律が、静かに流れ始めました。その瞬間、斎場の空気が、ふわりと変わったのを、私は肌で感じました。それは、いつもの、画一的な葬儀の空間ではありませんでした。まるで、父のリビングに、みんなが遊びに来てくれたかのような、温かく、そして、どこか懐かしい空気が、そこには流れていました。弔問に訪れた父の友人たちは、口々に「ああ、親父さんらしいな」「この曲、昔、よく一緒に聴いたよな」と、目を細めながら、思い出話に花を咲かせていました。告別式での、最後のお別れの時。流れていたのは、アルバムの最後の一曲、「ワルツ・フォー・デビイ」でした。軽やかで、愛らしいそのメロディーは、悲しいはずの別れの場面を、不思議なほど、優しく、そして明るく包み込んでくれました。まるで、父が「もう、泣くなよ。俺は、好きな音楽と一緒に、楽しく旅立つからさ」と、天国から、私たちに微笑みかけているようでした。あの葬儀は、ジャズがなければ、全く違う、もっと冷たくて、悲しいだけの儀式になっていたかもしれません。音楽は、父の無口な人生を、誰よりも雄弁に物語ってくれました。
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マスクが当たり前になった葬儀の変化
新型コロナウイルスのパンデミックは、葬儀という、最も伝統的と思われた儀式にも、半ば強制的に、大きな変化をもたらしました。その最も象徴的なものが「マスクの着用」です。この一枚の布が、葬儀の風景や、人々のコミュニケーションに、どのような影響を与えたのでしょうか。最も大きな変化は、「参列者の限定」と「葬儀の小規模化」が、一気に加速したことです。感染リスクを避けるため、多くのご遺族が、参列者をごく近しい身内に限定する「家族葬」を選択するようになりました。マスクをしてまで、遠方から無理に駆けつけることを、ためらう人も増えました。これにより、葬儀は、社会的な儀礼の場から、よりプライベートな、家族のお別れの場へと、その性格を大きく変えていきました。次に、儀式の内容そのものにも変化が見られました。マスクを着用しているため、僧侶の読経の声が聞き取りにくくなったり、弔辞を読む人の表情が伝わりにくくなったり、といった問題が生じました。また、最も大きな影響を受けたのが「会食」の場です。通夜振る舞いや精進落としといった、食事を共にしながら故人を偲ぶという、大切な時間が、感染防止の観点から、中止または大幅に縮小されることが多くなりました。食事の代わりに、持ち帰り用の弁当やギフトカードが渡される、といった新しいスタイルも登場しました。人と人との物理的な距離を保ち、接触を最小限に抑える。マスクが象徴するこの新しい生活様式は、葬儀から、人間的な温かみや、ウェットな部分を、少しずつ奪っていったようにも見えます。しかし、その一方で、私たちは、新しい弔いの形を模索し始めました。マスクをしていても、心を伝えるための、より丁寧なお辞儀。ソーシャルディスタンスを保ちながらも、視線で交わす、いたわりの気持ち。そして、物理的に会えない人々のために急速に普及した、Zoomなどを利用した「オンライン葬儀」。制約があるからこそ、私たちは、弔いの本質とは何かを、改めて問い直し、形は変わっても、故人を想う心を、どうにかして伝えようと、知恵を絞ってきたのです。マスクが当たり前になった数年間は、葬儀の歴史において、一つの大きな転換期として、記憶されることになるでしょう。
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即日返しと後日返し返礼品の渡し方
葬儀でいただいた香典に対するお礼の品、すなわち「香典返し」を用意する際、ご遺族がまず決めなければならないのが、その渡し方です。葬儀当日に手渡す「即日返し(当日返し)」と、四十九日の忌明け後に郵送などで送る「後日返し」、この二つの方法には、それぞれメリットとデメリットがあり、どちらを選ぶべきかは、ご遺族の状況や考え方によって変わってきます。まず、「即日返し」は、現代の葬儀において、八割以上のご遺族が選んでいると言われる、最も主流なスタイルです。その最大のメリットは、ご遺族の「事務的な負担を大幅に軽減できる」点にあります。葬儀を終えた後、ご遺族は、深い悲しみの中で、様々な行政手続きや法要の準備に追われます。その中で、誰からいくら香典をいただいたかをリストアップし、一人ひとりに合った品物を選び、挨拶状を書き、梱包して発送する、という一連の作業は、非常に大きな負担となります。即日返しであれば、葬儀当日に、あらかじめ用意しておいた一律の品物を、会葬御礼品と共にすべての方にお渡しするため、この煩雑な作業がほとんど不要になります。しかし、デメリットも存在します。即日返しでは、いただいた香典の金額にかかわらず、一律の品物(通常、二千円から三千円程度のもの)をお渡しします。そのため、二万円、三万円といった高額な香典をいただいた方に対しては、いただいた金額に見合ったお返し(半返しが基本)ができていないことになります。この場合は、後日、四十九日の忌明けを待って、いただいた金額の半額程度になるよう、差額分の品物を「後返し」として改めて送る必要があります。この追加の対応を忘れてしまうと、大変失礼にあたるため、注意が必要です。一方、「後日返し」は、古くからの正式な作法です。最大のメリットは、いただいた香典の金額に応じて、一人ひとりに対して、ふさわしい品物をじっくりと選んでお返しができる点です。感謝の気持ちを、より丁寧に、そして個別に対応したいと考える場合に適しています。また、忌明けの法要を無事に終えたという報告も兼ねることができるため、儀礼的にも非常に丁寧な形となります。デメリットは、前述の通り、ご遺族の事務的な負担が非常に大きいことです。どちらの方法を選ぶにせよ、大切なのは、弔意を示してくださった方々への感謝の気持ちです。
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葬儀で音楽を流すタイミングはいつが良いか
葬儀で故人ゆかりの音楽を流すことを決めた際、次に考えるべきは「どのタイミングで、その曲を流すか」という、演出上の問題です。音楽は、その流し方一つで、式の雰囲気を大きく左右します。ここでは、葬儀の流れの中で、BGMを流すのに効果的な、いくつかのタイミングをご紹介します。まず、最も一般的で、取り入れやすいのが「開式前」と「閉式後」です。参列者が式場に入場し、式の開始を待つ間、あるいは、全ての儀式が終わり、参列者が退場する際に、BGMとして静かに音楽を流します。この時間帯は、儀式の進行そのものには影響を与えないため、比較的自由な選曲が可能です。穏やかな曲を流すことで、参列者の心を落ち着かせ、故人を偲ぶための雰囲気作りをすることができます。次に、より印象的な演出となるのが、儀式の最中に音楽を流す方法です。その一つが、「お焼香」の時間です。参列者が、一人ひとり、祭壇の前に進み、故人と静かに向き合う、この最も個人的な時間に、故人が好きだった曲を流します。メロディーと共に、故人との思い出が蘇り、より深い祈りの時間となるでしょう。ただし、読経と重ならないよう、僧侶の許可を得るなどの配慮が必要です。もう一つの効果的なタイミングが、「お花入れの儀(最後のお別れ)」の時です。ご遺族や親しい方々が、棺の中の故人に、花や思い出の品々を手向ける、最も感動的なこの場面。ここで、故人の人生を象徴するような、特別な一曲を流すことで、その感動は最高潮に達します。参列者の涙を誘い、心からの感謝と別れの言葉を引き出す、非常にパワフルな演出となります。また、故人の生涯を写真で振り返る「メモリアルムービー」を上映する際には、その映像に合わせたBGMを選ぶことが不可欠です。映像と音楽がシンクロすることで、その物語は、より一層、参列者の心に深く刻み込まれます。どのタイミングで、どの曲を流すか。それは、ご遺族が、この葬儀を通じて、何を一番伝えたいか、というメッセージそのものです。葬儀社の担当者とよく相談し、故人にとって、そして参列者にとって、最も心に残る、最高の音響演出を、ぜひ実現してください。