父は、無口な人でした。そして、ジャズをこよなく愛する人でした。休日のリビングには、いつも、父がかけたジャズのレコードが、静かに流れていました。私には、その良さがよく分からず、「また、お父さんの難しい音楽が始まった」と、少しだけ煙たがっていたのを覚えています。その父が、昨年、長い闘病の末に亡くなりました。葬儀の打ち合わせの際、担当者の方から、BGMについて尋ねられた時、母と私は、顔を見合わせ、どちらからともなく、同じことを言いました。「父が好きだった、ジャズを流してください」。それは、私たち家族にとって、ごく自然な選択でした。言葉で愛情を表現するのが苦手だった父。その父が、唯一、心から愛し、その世界に没頭していたのが、ジャズだったからです。私たちは、父が遺した膨大なレコードコレクションの中から、特に好んで聴いていた、ビル・エヴァンスのピアノトリオのアルバムを選びました。通夜の日、斎場には、父の遺影と共に、愛用のオーディオセットと、レコードが飾られました。そして、参列者が集まり始めた会場に、ビル・エヴァンスの、あのリリカルで、少しだけ物悲しいピアノの旋律が、静かに流れ始めました。その瞬間、斎場の空気が、ふわりと変わったのを、私は肌で感じました。それは、いつもの、画一的な葬儀の空間ではありませんでした。まるで、父のリビングに、みんなが遊びに来てくれたかのような、温かく、そして、どこか懐かしい空気が、そこには流れていました。弔問に訪れた父の友人たちは、口々に「ああ、親父さんらしいな」「この曲、昔、よく一緒に聴いたよな」と、目を細めながら、思い出話に花を咲かせていました。告別式での、最後のお別れの時。流れていたのは、アルバムの最後の一曲、「ワルツ・フォー・デビイ」でした。軽やかで、愛らしいそのメロディーは、悲しいはずの別れの場面を、不思議なほど、優しく、そして明るく包み込んでくれました。まるで、父が「もう、泣くなよ。俺は、好きな音楽と一緒に、楽しく旅立つからさ」と、天国から、私たちに微笑みかけているようでした。あの葬儀は、ジャズがなければ、全く違う、もっと冷たくて、悲しいだけの儀式になっていたかもしれません。音楽は、父の無口な人生を、誰よりも雄弁に物語ってくれました。
父が愛したジャズが流れた葬儀