祖母が旅立ってから、あっという間に四十九日が経ちました。生前、手先が器用でお洒落だった祖母の部屋には、たくさんの着物や帯、手作りの小物たちが、主の帰りを待つように静かに残されていました。私たちは、祖母の遺志でもあった形見分けを、親族が集まる四十九日の法要の後に行うことに決めていました。法要と会食が滞りなく終わり、母が切り出しました。「おばあちゃんの形見分けを、皆さんとご一緒にさせていただきたいと思います」。リビングには、事前に私と母で整理しておいた祖母の愛用品が、白い布の上に丁寧に並べられていました。色とりどりの着物、繊細な細工が施されたかんざし、旅行先で集めたという可愛らしいブローチの数々。それら一つひとつに、祖母との思い出が詰まっているようで、胸が熱くなりました。叔母やいとこたちは、品物を手に取りながら、「この着物は、私がお嫁に行く時に着付けてくれたものだわ」「このブローチ、昔おばあちゃんがつけているのを見て、素敵だねって言ったのを覚えていてくれたのかしら」と、次々と思い出話を始めました。それは、単なる「物」の分配ではありませんでした。祖母という一人の女性が、いかに私たち一人ひとりを愛し、その人生がどれほど豊かであったかを、残された品々を通じて再確認する、温かく、そして少し切ない時間でした。私は、祖母がいつも大切にしていた小さな裁縫箱をいただくことにしました。中には、使い込まれた指ぬきや、色とりどりの糸が綺麗に収められています。この裁縫箱を見るたびに、きっと私は祖母の温かい手を思い出すでしょう。形見分けは、故人がいなくなった寂しさを埋めるものではなく、故人が確かにここにいたという証しを、皆で分かち合うための、大切な心の儀式なのだと、あの日、心からそう感じました。